コードネーム:Echo
- Toma Higa
- 1月10日
- 読了時間: 5分
両親の顔は覚えていない。いたのかすらわからない。いや、自分が生まれて生きているのだからいるんだろう。何一つ覚えていないが。
思い出せる一番古い記憶は自分の隣で泣きぐずっていた男子が叱責されているところだ。確か、腕相撲か何か勝負事をして自分が圧勝したとかでずるいとか、そんな理由だったと思う。それを教育係のいかついおっさんが「軟弱野郎が!そんなんで生きていけると思うな!!」と怒鳴っていたのが一番古い記憶だった。
自分が仕事に連れ出されてから何度だろう、泣きぐずっていた男子はいつの間にか食堂にもプレイルームにも、訓練場にもどこにも居なくなっていた。その時自分は何も悲しむこともなくただ、ああ、仕事で死んだんだな、と頭の隅で思っていた。それはどんな顔馴染みであろうと、共に過ごした時間が長かろうと変わらなかった。強さだけが生きる価値となる世界で弱かったから、運が悪かったから死んでいった、それだけのこと。
自分は覚えている中ではずっと変わらず「Echo」と呼ばれていた。それが自分を指す言葉、いわゆる名前で自分はそれ以外の自分の名前を知らない。
定期的にテストがあったがその後に「Echo」という名前はリストの上の方にあった。アルファベット順ではなかったことから察するに、順位表だったと思うのだが概ね優秀な結果を出していたのだと思う。だからと言って褒められるわけではなく、怒号が飛ぶグラウンドを横目に訓練場に向かうだけだった。怒鳴られて泣きながらトレーニングをしている様子を見て「そんなに泣くことかな、ただこなせば誰も怒鳴ってこないのに」と思ったことがある。
自分にも叱責されたことがあったような気がする。確かトレーニングで同い年くらいの相手を殺しかけたからだった。殺しを良しとしておきながら殺しかけて怒られるのもよくわからない話だが「貴重な人員、戦闘力を訓練で消費するな」ということだった。まぁそれもそうだよな、仕事以外で殺すのは確かに無駄だ。
その時に人間というのはあまり強度が無いものであるということを知った。
最初から「殺す」ということ自体は特別なものでもなんでもない。
瓦礫の隙間や深い草むらに隠れて、合図が出されたら止めの合図が出るまで撃ち続けるということをしていた。撃った先に人が血を流して動かなくなっていることもあったから、きっと自分か同じ班の誰かが殺したんだなくらいに思っていた。
殺したことについてあえて挙げるならば、初めて目の前の人間を自分の手で殺した時だろう。その時の自分は少なくともハイティーンよりは幼かったと思う。14歳くらいだったかもしれない。
複数人の年下と一緒に廃屋に潜んで、銃を持った大人が来たら怯えたフリをして油断したところを隠し持ったナイフで殺せという仕事だった。呆気なく簡単に、言われた通りのことをしただけなのに、自分よりもずっと大きい人間が力無く地に伏していった。その時、苦しいとか嬉しいとか何も思わず目の前の人間が死んだ事実だけを認識していた。この大人も自分よりも弱かったから死んだ。それだけのこと。
強いて言うならば、流れたばかりの血は生温かいんだなと少し頭に浮かんだくらいだった。
その後も絶えずトレーニングと訓練をして、仕事をして、定期的にテストがあって、その繰り返しに誰かが死んでいく中で自分は深い傷を負うことはあっても死ぬことはなかった。
殺せと命令されたなら殺す、制圧しろと命令されたなら制圧する、殺さず捕えろと命令されたなら殺さず捕える。その対象が何であろうと持てる技術を最適に使って等しく遂行した。自分と同じように武装した人々だけでなく、命だけはと乞う人も、子を庇う親もその子も、何も抵抗できないような老人も、無抵抗で戦いを望まない人々も、等しく命令された通りに扱った。
悲鳴と泣き声の合間に人でなし、悪魔、地獄に落ちろ、様々な罵詈雑言を並べられたが、そうすることがクライアントにとっての善で利益であるならばそれは自分にとっての善で利益だった。そうであれと望まれたように結果を出すことが自分の価値だった。そこに疑いの余地などなく、それが当たり前だった。
そういう自分を優秀な人材だと上は売り込んでいるような話を聞いたことがあったが、自分はただ当たり前のことを当たり前にやっているだけだった。
成績が良いことで特別何か褒美があるわけではなかったが、同じように生活している班員を見るに自分は少し報酬が多かったようで、ちょくちょく「Echoはいいよなぁ」などと言われることがあった。
特に望むものは無かったが一度寒さで眠れず、いつものパフォーマンスを出せなかったことがあってからはブランケットを購入するようにしていた。それと、冷え込む日は身体中の傷が引き攣れて少しだけ嫌だったから、そういう時はさして厚いわけでもないブランケットに体を包んでいた。
死ななかったとはいえ少なくない傷を負い、時に死にかけたこともありながら仕事をできていたが、さすがに自分にも死の順番が回ってきた。
上から「死ね」と命じられたわけではない、ただ戦場とはそういう場所だ。自分が陣取った建物に砲弾が直撃したことで、瓦礫に潰されて左半身を焼かれながら意識を失った。
そこで自分は一度死んだ。
死んだはずだった。
浮上した意識で目を開くと、見たことのない白い天井、見慣れない大量のケーブル、金属製の身体が視界に入り、その端には見たことのあるようなメーターらしき何らかの情報が常に変動していた。
「『Echo』起動しました」
聞いたことのない人物の声が聞こえ、部屋の中でも部屋のガラスを隔てた向こうでも白衣を着た人々が自分を見ていた。
なるほど、自分は生かされているのか、まだ「そうであれ」と望まれているのかと理解するのに時間を要さなかった。